新しい自分1-ジャケット編-

2008 年 12 月 5 日
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チョイ悪なジャケットを買った。チョイ悪でかっこいいと思っているのはわたしだけかもしれないが理想のカッコイイ自分に似合うジャケットを選んだつもりだ。

これまで冬のジャケットといったら黒っぽいものしか選んだことがなかった。けれども今のわたしには未来のカッコイイ自分がこころの中のイメージにいる。いま現状の自分はひとまずおいといてもうかっこよくなっちゃった自分がイメージの世界に住んでいる。

だから試着して鏡の前に立った自分を見て思わず「オレってカッコイイ…」と言ってしまったりする。

そこに立っているのは今この瞬間の自分ではなく未来のカッコイイ自分だから恥ずかしいとも思わずに素直にカッコイイって言っちゃえるみたい(ちょっと変なひとかも)。昔の自分だったら言えなかったようなセリフが今は素直に言えたりする。それって少し自由になれた証拠かな。

この人は笑っている?泣き出しそう?答えはあなたのなかにある

2008 年 10 月 30 日

私たちはこんなものも思いこみで見ている

2008 年 10 月 29 日

目の前にあるのは心だ

2008 年 10 月 28 日

目の前だけをみるんだ

2008 年 10 月 28 日

火がついたみたい

2008 年 10 月 21 日

すごく久しぶりに一眼レフを手に取ってみた。やっぱり最高にきれいな世界が広がるね。

微妙な大人

2008 年 10 月 7 日
よもぎ餅

奄美大島からやってきたよもぎ餅。あんこが入っていなくてなんかさびしいなと思いながらひとくち口にするとほのかな黒砂糖の甘みとよもぎのほろ苦さが口いっぱいに広がった。

何度でも食べたくなる素朴な味。

ほんものって微妙だよね。調味料になれた僕たちは本物の味がなかなかわからない。だって本格的なオーガニックのお店の料理は平べったくておいしくないけれど「ココイチ」や「餃子の王将」はすごくうまく感じちゃう。

これってやっぱりおかしいんじゃないかな。

本物の微妙さを味わえる大人になりたいかな。

新しいセルフイメージをその手にいれないか

2008 年 9 月 1 日

新学期の始まるこの日はボクの誕生日であったりする。思い出にある限りうだるように暑い日が多い。

厄も後厄に入り自分を見直す3年間も最終ラウンドに入る。歳を重ねる毎に自分ってこんな人というイメージに固まってしまいそのセルフイメージ以外の自分を表現することはほとんどなくなってしまった。だが意外にやこの歳になって新しい発見があるのが嬉しい。

Webサイトの改造をしていた。とにかく2日で仕上げてあげてしまいましょうと提案し約束どおりに新しいアイデアを盛り込んだサイトを公開した。すると「いやあすごい集中力ですね」「このキャッチコピーのセンスがいいこと」「ビジネスセンスがすばらしくて実行力がある」とべた褒めのお言葉を仲間達からいただいた。社会に出てかれこれ20年、一度も言われたことも自分で自分をそう感じたこともない言葉だ。

自分ってこうだからああだから、と前の自分だったら簡単に受け入れることはできなかったかもしれない。

「これくらい誰でもできるし…」
「ホントはもっと早くできると思ったのに実力がなくて時間かかってしまったんだよ…」
「最高のできばえじゃないんだけどな…」

いろんな今までのセルフイメージが自分を褒めるのを許してくれない。

ボク達人間ってかなり偏ったセルフイメージをもっていると思う。持ってしまったら最後そのセルフイメージどおりに行動し始める。するとどんどんそのセルフイメージを本当の自分だと信じてしまう。もし今現在の自分がなにか窮屈感を感じていたり不完全燃焼していると感じるのならセルフイメージを疑うのがいい。

あのとき、あの人に言われたあの一言。本当に自分を表現して言い当てたものなの?
親から先生から友達から、たくさんの言葉をいただいた。ありがたい言葉だがどれもこれも間違っている。捨ててしまおう。

今度はボクは欲しかったその言葉を素直に新しいセルフイメージにいただいた。この瞬間からボクは新しい自分になった。まだまだ歳を重ねるのも悪くない。

首を取り替えたいって思ったことある?

2008 年 8 月 10 日

ボクは首が痛かったり腰が痛かったり結構大変だ。取り外してしまえばどんなに楽かと思う。

よく妄想するのだがここで首を取り替えてみたとしよう。首を取りかえてもボクはボクであるよね。腰を取りかえてもやっぱりボクはボクのままであると思う。

では頭を取りかえるとどうだろう。なんか違うひとになったような気がしてくる。

普遍の問いだが自分の実体とはなんだろうって考えると「こころ」とか「魂」とかって思える。ではこれがどこにあるかと言えばよくわからない。頭に入っている?いや胸かもしれない。人によってはおなかに入っていると言うかもしれない。

催眠療法的に考えてみよう。

自分を変えたいから潜在意識を入れ替えてみようとする。潜在意識が入れ替わるとまったく別人になったような気がする。でも本当のところ変わっていない。だって家に帰ったら「あなた誰?」なんて聞かれないから。

催眠療法で潜在意識を入れ替えるというセッションはそこにある自己イメージを変えると言うことだ。その目的のために過去の書き換え、インナーチャイルドの癒し、前世イメージの呼び出しなどを行う。

でもボクが催眠療法でやっていることはクライアントの潜在意識を入れ替えているのではなく、こころの奥底にある生きる力を引き出しているだけなんだ。それは情熱、自信、喜び…と言われるものでよくわからないけれどわたし達人間が生まれ持った力だ。この力を引き出すためにあらゆる手法を使って潜在意識にアプローチをかけている。

答えはひとりひとり最初から自分がもっているんだ。だからできるだけじゃまをしないようにそっと大事な部分に呼びかけるようにしている。

やっと話はもとに戻るが結局潜在意識、自己イメージを変えてももちろんボクはボクであるようでそこにもボクの実体はなさそうだ。

元気のしるし

2008 年 8 月 3 日
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子供の頃大きなヒマワリに憧れて夏が近づくと種をまいた。でも家の小さな庭に撒いたヒマワリは大きくはなるけれど腰を抜かすほどにはならなかった。

田舎に行くと畑の栄養をたっぷりすったヒマワリは腰を抜かすほど大きくてたまげたものだった。

そんなヒマワリはやっぱり太陽に似ていて夏の陽射しとあいまってか熱くて情熱的だ。ヒマワリをイメージすると元気をもらえたり情熱的になれたりする。

だから元気が欲しいときにボクはヒマワリを思い出すんだ。